おちゃ的劇場型日記

社会不適合なのに元気な元文系大学院博士課程の現在・過去・未来。人によると波乱万丈らしい。

営業嫌いの営業トップが語る営業マインド

おいらは営業が大嫌いだ。
そもそも物なんてものは自然に買われるように/使われるようにもっていくべし、という考えがある。
でも、最初に入った企業は小企業で、なおかつ営業会社だった。
入社時は「営業はちょっとやってもらいます〜」なんて言われていたのに、入ったらテレアポ1日100件弱の世界だった。
生きていくために嫌々ながら、必死で営業していた記憶がある。
嫌々だったからか、テレアポで全くアポが取れない。アポ取得率1%以下。ガンガンアポを取っていく同期を尻目に、ダントツ最下位だった。
 
なんでそんなに営業が嫌だったかというと、
(1)欲しくないものを押し売っている気がする
(2)一つで十分なものを、2個3個と余剰に買わせる
(3)売っている商品がとても勧められたものではない
(4)その企業が持っている大事な資産を削ってものを買ってもらうということへの罪悪感
(5)正直しんどい
というところが大きかったと思う。
 
どれも連携しているところがあるけれど、特に(3)は、売っている商品が効果がほとんどでないと知っているとき、
売るのは非常に苦しい業務となる。それでも自分のおまんま、会社の利益のために売るしかないのだ。
で、そんな商品を(2)何個も買ってもらう。(1)ほしくなかったものを欲しくさせて。(4)会社の資産を削って、という連関構造である。
そしてなんかよくわからんが、肩書がついたやつにやたら詰められたりするのである。やってられねー。
は?じゃあお前がやれよ??いいよ代わってやんよ??である。
そんな仕事に誇りを持てって言われてもおいらにはとても無理であった。
 
これが、内容提案型、コンペ型だったらもうちょっと中身のある営業ができるんだろうけど、おいらの入った会社は、商品売り切り型のサービスが主だったので、さらにキツかった。
 
でも、テレアポダントツ最下位のおいらでも、結局1年目でトップ営業になることになる。
 
今いる会社でも営業をやっているが、日本国民の7割くらいは知っている大企業なので、売るのは相当楽だ。
それでも、(1)、(2)とか(4)はついて回る。枠売り型の営業なので、特に(2)は相当ある。
そしてもちろん、(5)である。
 
でも、ここでも営業トップになるのであった。
そんなおいらが大事にしている営業マインドがあるので、営業嫌いのあなたに紹介したい。
 
■1■ 営業は「ゲームに対するコミット力」が大事である。
 

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ジュディは正義。
 
このマインドは非常に重要で、あまり深い意味を考えてはいけない。
決められた期間の中で、より高く数値を出すゲームである。
それが目標を達していることは最低到達点で、メンバーの中で一番得点を取っていることが非常に望ましい。
 
そこで重要なのは、様々なテクニックがあって、たくさん本も出ているけれど、大事なのは「ゲームに対するコミット力」であるとおいらは思う。
 
だれでも、大変なゲームだと投げ出してしまうところがあるけれど、それを最後まで到達させることができるか、というところが非常に重要である。
 
おいらは、ワゴンセールで390円で投げ売りされていた伝説のク◯ゲーである「アンリミテッド:サガ」を全主人公でクリアした逸材である。
必ず最後の主人公までクリアする、このマインドが非常に重要なのである(いやほんとに、マジなんです)。
 
ゲームをどのように進めるかは自由だし、例えばすんごいチートしたり、レベルアップ頑張ったり、最短距離でゴールを目指したり。
その方法はあなたに委ねられている。自由なゲームなのだ。
ただし、期間が決まっている。そこが重要なのである。それを守りつつ高得点を出すのにはどうしたらいいか、それを考えることが重要である。
 
 
■2■ アポの前に「ガラスの仮面」を被る。
 

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営業先の担当者は、あなたの「本当の姿」なんて知りたくないのだ。
まず、担当者を引き込む演技力、それが非常に重要である。
部屋に通されたら、席の位置を確認しどれくらいの声が適切か図る。
担当者が来たら、最初の名刺交換やアイスブレイクで好みを瞬時に見極め、その担当者が好むキャラを演じきるのだ。
 
おいらの場合はたいてい、「お笑い芸人キャラ」がフィットするので、それで7割型押し切るが、データ系タイプが出てきたときに酷いことになるので、そのときはデータで攻める。
ビジネスで言うところの論理性ってやつを大事にするのだ。
データ系タイプはだいたいアイスブレイクでもカタカナ語やKPIとかの単語をガンガン言ってくるので、すぐわかるはずである。
 
■3■ アポは「スポーツ」である。
 
アポでは打ち返された球を絶対落とさない。これが重要である。
それは会話のラリーなのか、データを返すのが、切り返しトークをうまく当て込むのか、それは打ち返された球がどんな球なのかによって変わるが、それを瞬時に見極めてうまくスマッシュを叩き込む。
これを意識すると、だいたいスマッシュを2,3個打ち込めば相手が負けたことがわかるはずである。
そうなれば、クロージングは近い。
 
ちなみに、おいらは運動は全くできない。
まず、逆上がりすらできない。二重跳びもできない。それでも、アポはわりかし得意である。
だから運動ができる人はもっとできるんだろうなーと思う。
 
■4■ 「担当者に気に入られること」が非常に重要である。
 
おいらにとっては、割かしここが一番重要なポイントなのではないかと思っている。
商品が良いものでなくても、あなたの演技が心をつかめば、相手は大体あなたのことを好きになってくれる。
そうすると、上に話を通してくれて受注となる。その労力をかけさせられるくらい相手に好かれているかどうかがキーとなる。
 
別に明るくて楽しい人だけが好かれるわけでもない。
相手に好かれるにはどうしたらいいか、それを考えることが重要である。
もともと商品スペックが高けりゃその説明をうまくできるようにすりゃいいし、明るいキャラが演じにくいなら、めっちゃめちゃ調べ物をしてその会社に詳しくなるとか、業界に詳しくなるとか。完璧とも言えるロジックを組むとか。データだけでは誰にも負けないとか。めちゃめちゃ細かくフォローするとか。
なんでもやりようによっては得意なフィールドを作ることができるのだ。
広い営業界でみると大したことないかもしれないが、その担当者にとっての一番にはなることができるはず。
 
■5■ といっても、死ぬわけではない。
 
これも大事なマインドだが、会社に雇われている以上、結果が出なくても死ぬこたぁない。
給料ももらえるし、そこそこでもいいんだよっていう。
切り替えが大事である。
 
今日の演技、いまいちはまらなかったな〜次はこうしよう、これくらいでいいのである。
 
■6■ でも、ゲームで一番を取ると、めちゃめちゃスカッとする。
 
これに尽きる。
 
 
 
以上がおいらのテキトー営業マインドである。
細かいことは、巷の営業本を何冊か読めば補えると思うけど、上記はどれも重要だなーと日々思っている。
 
最後に。
営業嫌いのおいらだが営業は重要だとは認識している。
 
使ってみたらその商品やサービスが意外とハマって、その会社の業績が伸びたりってことが往々にしてあるからだ。
もちろん、自分の在籍している会社も営業によって利益が出るため、お給料も上がっていくし、ボーナスも出るし、すごくいい。
だから、自社のサービスを使ったらその会社がハッピーになるところに営業に行くといいね。
え?当たり前だって?すんません。でも改めて、これは大事です。
自分が嫌々やったことが喜ばれるってのはなんだか不思議な気分だけど。
 
そして、一番重要なことは、営業をやってると、どこに行ってもその経験が結構役に立つようになる。
フリーランスになっても、営業は切り離せないと思うし。
何かサービスを作る側になったとしても、営業していた視点というのは重要だから。
なので、自分のスキルアップのためにも、営業ちょっとやってみてください。
 
でも、おいらは未だに営業が大嫌いである。
 

学校行かなくても予備校行かなくても国立大には行けることを証明した話。

小学校3年生のときに、先生の言っていることになぜ従わなければいけないのかわからなくて、そう伝えたら先生が次の授業から話さなくなってしまったことがある。
黙々と、何も話さずに黒板を書き続ける先生にクラスメイトは恐怖し、一様に責められたっけ。
 
学年が上がるごとにわからないことが増えていった。
素行はあまり良くなかった。
少しずつ、学校に行かない日が増えた。
 
中学校に上がると、普通の公立中学だったので当然のように制服がある。
なんでみんな同じ服を着て学校に行かなくちゃいけないのかわからなかった。
 
学校の勉強は教科ごとに先生が分かれて、自分で考えたりすることが少ない授業が多くなった。
多数の理解度に合わせた授業。教科書に沿った、紋切り型の授業。
 
つまらなくて、一人で先に進んで勉強していたらよく教師に怒られた。
つーか、先生が言っていることは教科書に書いてあるから、聞く必要がないんだって。
それなら自分で教科書覚えたほうが早い。
教師はおいらに目をつけるようになる。
 
あんまり素行の良くないグループに属していた。
なおかつ、そのメンバーの殆どがするようにうまく取り繕うことができないから、彼・彼女らがやった悪事は
おいらのせいになることが多かった。「影の番長」とか言われたことがある。漫画か(笑)
 
そんなこんなで、中学は途中から完全に行かなくなってしまった。
 
何をしていたかというと、一日中好きな本、漫画読んで、ゲームやって好き勝手やっていた。
親は泣いていたけど。ごめん母ちゃん。
親戚も近所の人も皆おいらを責めたけど。
かつての「友人」は腫れ物に触るようになってしまったけど。
それでも何事も強制されず好きなことをやれる時間は楽しかった。
 
でも勉強は好きだったから、高校受験した。
学校に行かない人用の家庭教師は月1回通ったけど、何を言っているか全然わからなくて、結局独学。
 
内申が悪かったのか、公立はダメ。
第一志望だった私立は、無事受かっていた。
 
高校はあんまりうるさく言われなかったし、好きな教科に特化したコースに行っていたのでまぁまぁ楽しくやっていた。
素行の悪いグループにも入らなかったし、わりかし穏やかな日々だった。
 
だけど、授業で事故に遭い、後遺症で何年かまともに歩けなくなってしまった。
文字もうまく書けなくなり、ノートパソコンを使って授業を受けていた。
数式が書けなくて苦労したっけ。
授業も、ずっと集中して受けることができなくて。
 
実技の授業は受けられないから、レポートで代用。
いつも皆の実技を眺めていた。
 
だけど、毎日通うことは体がキツくて、高校も休み休み。
ごめんよ母ちゃん。
金がないのに、やっと学校に行ってくれると家計を切り詰めて私立の学費を出してくれたのに。
 
高校はなんとか卒業できた。
勉強が好きだし、自分が好きな科目を選べる大学はどうしても行きたかった。
でも、家計の状況は更に悪くなっていたし国立しか行けなかった。
予備校の学費を見て目ん玉が飛び出た。
 
そんなわけでここでも独学。字は、練習してなんとか書けるようになっていた。
なんとか次の年国立に受かりましたとさ。
笑えるのが、センター試験が現役の時と浪人のときとでほとんど点数が
変わらんというwwww ショックwwww 一年間の意味wwww
現役のときは、まだ体調が悪かったので、受験はせず、翌日新聞に出る問題を解いただけだったけど。
受けときゃよかったぜ。
 
こんな中二病の人でも、現在なんとか生きてます。

8階のベランダからずっと地面を眺めていた話。

あれは夏の頃だったか。
襟がびろびろに伸びたTシャツを着ていたことを覚えている。
 
なんだかよくわからないのだけど、食欲が沸かなくなった。
みるみる体重が5kg減ってしまった。
それだけだと夏バテのせいということにもなったのだろうが、なぜか眠れなくなった。
それだけならまだよくある話だったのかもしれないが、とにかく死にたくなってしまったのだった。
 
家人は思い過ごしと言って譲らなかったのだけど、自分の中で何かがおかしいと告げていた。
明らかに死にたいのだ。
なんとなく、「死にたいな〜」なんて言うのではなくて、はっきりと死にたい。死ぬしかない。そういう状態だった。
 
家人を説得して病院に行ってみることにした。駅前の割と大きな病院に行ったのだけど、そこではそんな人は診られないと言われて、他の病院に回されて、やっと診てもらえたのだけれど。
 
とにかく、「どうしても死にたい」ということを人に言うのが本当に恥ずかしくて、恥ずかしくて。
こんな恥ずかしいことないと思ったんだけど、なぜだか未だによくわからない。
冗談で軽く「あ〜死にて〜」なんてよく言っていたのだけど、本気のやつはなかなか人には言えないんだなって痛感したのを覚えている。
 
そっからは睡眠の日々が始まった。
アルバイトを全部やめ、食パンを朝一枚食べ、昼も一枚食べ、夜も一枚食べて、それ以外は寝ていた。
いつもつけている日記も書けなくなってしまって、その時の記憶があまりない。
 
強烈に覚えているのは、ただひたすら8階のベランダに出て、地面をずっと眺めていたこと。
どうして覚えているかというと、「死ななくてはならない」「死ななくてはならない」という衝動がかけめぐって、ベランダから飛び降りようとする気持ちと、それを止めようと必死で棧を掴む腕と、そのせめぎあいでただ立ち尽くすしかなかったから。
 
その衝動が来ると、家人を起こさないようにそっとベランダに出る。あとは腕と脳との勝負だった。
そしてずっと、体が冷え切るまで戦っていると、家人が気づいて連れ戻す。
 
そんな日々だった。
 
原因はよくわからない。
あの頃は相も変わらずお金もなくて余裕もなくて、アルバイトの日々。研究はとっくの昔に諦めている。
それが当たり前のように続いていた時期だった。
特段衝撃的なことがあったわけでもない。
 
だけど寝て寝て寝て、ベランダに立つことがほぼなくなって、寝るのに飽きたおいらは、なぜか就職することを思い立つ。
そしてその2ヶ月後に、30も手前にして最初の会社に新卒入社するのである。
 
ある種の脱皮だったのかもしれないね。
あの時一度死んで、もう永遠に帰ってこない。
 
でも、今の会社(まともな人が行く会社)でなんで大学院辞めたのか聞かれて、「一回死んだんですよ〜」とか言うと空気がガッチガチに凍る。素人にはお勧めできない。

家人が40歳で初めて会社員になった話する。

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家人はいわゆる夢追い人で、30手前までフラフラしていた。

それこそ今都民のみなさんが使っている地下鉄掘ったり、世界で使われている武器を作るバイトをしたり、日雇いでお金ガンガンもらって、日がな飲んでくだまいたりとなかなかの人生であったそうな。
 
当時は景気もよく、引っ越しの日雇い行ったらお客さんがぽんと何万円くれたりもしたそうで。
その金で日本中旅したりと、まぁ自由な人であった。
 
ただ、頭はすごく良い。知識が豊富で人当たりもいい。間違いなく社会で活躍できる人だと思っていた。
それは身内の贔屓目ではないと思う。
 
そんな家人が30手前になってそろそろやばいと思ったらしく、大学に入った。
(そのあとも結局夢が忘れられず、ちびちび追ったりしていたが)
そして大学院に入り、何を思ったか起業してしまうのであった。
 
もちろんうまくいくはずもなく、自転車操業で自分で金を会社に貸してはアルバイトに勤しむ日々だった。
おいらは特にそれに文句を言うこともなく、大学院に通いながらアルバイトに励んでいた。(そのころはもう博士課程で、ほとんど学校には行っていなくてアルバイトが9割だったけど)
 
というのも、ビジョンは良いと思っていたので。
ただ、それをマネタイズするのはキツかったのだと思う。
右も左もわからぬ学生(つってもほぼ中年)からの起業。しかも技術系ではない分野。
そんな中でも社長たちが集まる会合に出させてもらったりして仕事を覚えたり、仕事をもらったりしていた。
 
だけどなかなかうまくいかなくて、結局その会社はたたむことになる。
その時家人は39歳だった。
 
就職活動をしたけれど、会社員としての職歴がゼロだった家人はどこも受からなかった。
1社、いいところまで行ったところはあったのだけど、最終でダメだった。
 
社員としてだけでなく、アルバイトすら受からなかった。
世間は厳しい、不条理に厳しい、とその時痛感して相当ショックを受けたのを覚えている。
能力なんて履歴書や数回の面接じゃわからないのだな、とも。そして、能力で見てはいないんだな、と。
会社員になっていない、いわゆる「普通の人」ではない経歴を歩むと、こんなにも世知辛いんだと。
 
そこで結局どうしたかというと、郵便局の仕分けのバイトになった。
郵便局の仕分けのバイトは、いわゆるスネ傷系の人が多くいたらしく、家人の経歴でも受け入れてくれたし、家人もそこにある程度馴染めたようだった。
 
もともと能力がある人なので、メキメキ頭角を現していき、仕分けの中でも重要な仕事も任されるようになり、社員への道も見えてきてはいた。
ただ、給料が安かったし、仕事の面白さはなかった。
 
40歳になった時、さすがに見かねた昔からの友人が、自分が居る会社に誘ってくれて面接してもらえることになった。
ベンチャーではなく何十年も続く社員数何百人規模の企業。
 
社長といきなり面接になり、その場で就職が決まった。
給料は新卒並で、待遇は契約社員
それでも、やっと人生で初めて会社員になることができた、とただひたすら感動した。
 

ochatheater.hatenablog.com

でも書いたとおり、会社員になって安定した給料がもらえると、一気に生活が楽になる。
ただそれだけで、当時は嬉しかった。友人とその会社に本当に感謝した。
 
その恩を返すべくひたすら家人は頑張った。
その家人が今どうしているかというと、数年でむっちゃくっちゃ出世して経営側にまで行ってしまった。
 
自分の会社潰してるのにすんごい売るのがうまくて、赤字事業を黒字に立て直し、二事業部を黒字化させたそうな。
たまに億売ってくる。
変態である。
それを自分の会社でやれよとツッコミいれまくったけど。
 
起業でしかやれないこともあるし、会社員としてしかやれないこともある。
家人を見ているとそれがひしひしとわかる。
 
そして、いわゆる「普通」ではない道を歩む場合、人との縁がすごく大事だし、自分自身を売り物にして道を切り開くしかない。
家人のはわかりやすいサクセスストーリーだけど、そうでなくても諦めずに精をだせば、きっとどこかに生きていく道はあると信じる。
 
もしこれを読んでいるあなたが絶望に打ちひしがれていたとしても、その時こそ、新たな旅が始まるのです。
 
 

文系国立大学院修士の時の食費が1万円だった話する?

 大学院に入った時に上京したおいらは、とにかくお金がなかった。
というのも「研究に専念する」なんて大義名分でバイトを一切する気が無かったからだ。
 
そうすると、全部の収入を奨学金に頼る他なくなる。
貧乏な家だったので、もちろん仕送りはない。
大学院の学費も自分で出さなきゃならないし。
おいらの通った大学院は免除が通りにくいところで、結局半額免除も通らんかった気がする。そうすると年間50万円かかるわけで。
 
そんなわけで日本学生支援機構から借りた金額
 

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月16万円!!
 
すごい、普通の社会人の手取りくらいあるぞ…!!
 
内訳としては、月額
第一種…8万円
第二種…8万円
 
でした。
 
そっから、学費の50万円をプールすることを目的に、自然と節約生活が始まったのであった。
 
【当時の平均的な家計簿内訳(月額)】
 
・住居費…6万円
 →もっと安いところに住んでもよかったのだけど、東京はなんか怖そうだったので、大学院に近い大通りに面したところにした。不動産屋にお願いして、大家さんに月5,000円ほどまけてもらった。築20年位で駅徒歩7分、16平米のユニットバス1R。1階が飲食店だったので、Gとの壮絶な戦いを繰り広げることになるが、それはまた別の話。
 
・光熱費…1万円
・通信費…8千円
・医療費…5千円
・定期代…2千円
・本代…8千円
 →だいたい研究室か図書館で借りれていたし、コピーとかで賄うことも多かった。自分の負担はそこまでなかったかも。
・雑費…2千円
 
コミュ障で飲み会とかも苦手なタイプだったので、交際費はほぼかからなかった。同期とは教室や学食とかで話したりしてたし。そんな仲良くもなかったけど。
 
そして、食費が1万円 である。
 
だいたい合計月10.5万円。家賃以外で4.5万円ですな。これが当時の平均的なおいらの支出だった。
 
16万円-10.5万円だったので、月5.5万円は貯金していた。そうすると年間で66万貯金できる。学費を考えるとカツカツである。
 
 ・年間収支…収入:192万円 支出:126万円 貯金:66万円
  ※大学院生の皆様、参考になれば。
 
●食費1万円で何を食べていたか大公開!
 
先に断っておくが、チートをしていた。実家である。米を送ってもらっていたのだ(たまにお菓子もあった。お菓子を食べられる幸せは筆舌に尽くし難い)。そこだけは許してほしい。
 
本当は一日700円で、月2万円くらいの食費で生活しようと思っていたのだが、蓋を開けてみるとそんなかからなかったという。
 
●節約のコツ
 
週1回、特売品を買い込んで小分けにして冷凍。(大体毎週の予算を2,000円くらいに設定)。野菜は茹でるなど下処理してこれも冷凍。漬物も良い。
 
…これだけである!
 
買うものはだいたいルーティンで、
 
・食パン(6枚切り)
・肉類(300円くらいのものを2つ〜3つ)
・卵
・野菜(その日の特売品)
 
これをひたすら回していた。
 
大体の毎日の献立
 
・朝…食パンに目玉焼きをのせたもの、昨日の残りの味噌汁 
   →合計40円くらい
・昼…お弁当(卵焼き、ウインナー、プチトマトと野菜のサラダとか
   浅漬けとかとふりかけ米。昨日のおかずを残しておいて詰めることも
   多々あり) 
   →合計100円くらい
・夜…ご飯とお肉を使った料理(野菜含む)と味噌汁
   →合計160〜200円くらい
 
これで一日300円位になる。これ×30日でだいたい9,000円〜1万円。
 
捗った食材
 
①乾物(特にわかめ、しいたけ)
 
安い上に膨らむ!素晴らしい。しいたけは出汁にも活用。
 
②もやし
 
いわずもがな。かさ増しの王道。近所のスーパーは20円だった。
ナムルが好きでいろんな味のナムルを試していた。ナムルは正義。
 
③大根
 
あんなでかいのに1本100円で買えたり。煮たり炒めたり漬けたりと万能。
 
④白菜
 
これも煮ても炒めても蒸しても漬けてもよし。安かったミンチとで作る重ね蒸しをポン酢で食べるのが至高であった。(豚こまでも良い)
 
⑤ごま油と豆板醤
 
これを使うだけでなんとなく味が決まるため、多用。ごま油と豆板醤と豆腐で麻婆豆腐ばっか作ってました。豆腐50円だからだいたい60円位の料理。
 
こんな感じでした。
同期はお金持ちが多かったので、月1万円の食費だって言ったら超驚いてたなぁ〜。この生活のお陰でダイエットに成功し、5キロ位は痩せたはず。でも、3食しっかり食べていたので、ひもじい思いは全然なく、食生活には満足していた。
 
 
と、所帯じみた投稿をしてみた。
1万円でも全然満足できるぞ!ということは声を大にして伝えたい。
 
しかし、この時の後遺症か、肉とか野菜をやたら小さく切ってしまうようになってしまい、家人から「貧乏くさい料理」と常に言われていたことは内緒な。あと鶏肉はももでなく胸!
 
その反動で今は全く自炊しなくなり、家人と二人で一月約20倍位の食費が
かかっていることも内緒!!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

文系大学院を辞めて就職したら意外と楽勝だった話。

 

ときどき、大学院の時の研究科の先輩のことを思い出す。

カズヤ先輩はある宗教を研究していて、助教で、アイドル好きだった。

将来の不安に備えてか、飲み会はいつも割り勘以下で、とにかく手持ちが少ないフリをして後輩に多く出させてた。

 

ところで、これを見てほしい。

 

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平成26年度大学院活動状況調査結果 p29

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/004/gijiroku/__icsFiles/afieldfile/2016/09/06/1376885_12.pdf)


  

4年前のデータで、特段新しくもないんだけど。

改めて文系の博士課程まで行った人の進路不詳さすごいwww

そもそもこの調査の取り方自体に問題があるとは思うのだけど。

 

というわけで、カズヤ先輩は助教の任期が満了した。更新はなかった。

40歳の時だった。

その後、カズヤ先輩は姿を消した。

みんな心配したけど、敢えて探さなかった。きっと故郷に帰ったんだよ、実家は確か農家だっけな、あの人あんな太ってんのに農作業できんのかね?(笑)なんて酒飲んで話したものだった。

 

そんな人はゴロゴロいて、それが文系大学院生の、文献系研究者を志す者の日常だった。

 

そんなことは置いといて、まぁおいらの話を聞いてくれよ。

博士課程に入ってからあまりにも食えなくて、奨学金の額が1,000万円プレイヤーを超えるんじゃないかって恐怖で。勉強そっちのけでアルバイトに精をだす日々。

アルバイトは不安定過ぎて、収入が月によって差があり過ぎて。

もうこんなのは嫌だって思って就職した。

 

30も手前だったので就活はまったく上手くいかなくて、飛び込んだ先は小企業。アホかっていうくらい営業電話をかけさせられて、声が枯れたものだった。もちろんそんなことは入る前には全く聞いてなかった。でもがむしゃらにやったら結果がついてきて、表彰も何回もされるようになった。

 

そんなこんなで、今はみなさんご存知の大企業で働いている。

そこでも表彰されちゃって。

こんなクソったれでこの結果ですよwww 人生楽勝じゃね??

 

そんなおいらが就職してわかったことを挙げていく。

 

 1:ビジネスはゲームだ

はっきり言って、ビジネスってやつはゲームです。

一定のルールに従っていかに早く勝っていくか、それだけ。

ゲーム好きなあなたにはすごくおすすめ。

 

とにかくやたらみんな「ロジック」「ロジック」とか呪文を唱えるけど、そこは気にしないで。

 

俺TUEEEE できる方法を探せば大抵勝てます。

 

2:研究より全然楽

就職してからは割と22時を過ぎて帰ることも多かったんだけど、それでも研究するより正直楽。ただの体力的な問題だから。ウンウン悩まなくていいのだ。ある程度答えはあるし、結果ってのがすぐ出ることが多いから。わからなすぎて天井を見続けることはなくなる。

 

3:安定するってことは素敵だね 

毎月決まったお金が手に入ります。

「やくそう」買い放題だね!

 

こんなこと信じられます?

ゼミの発表があるから、学会発表があるからってシフト減らして翌月の給料に愕然とする日々を送ることはない。手を抜いたって、よっぽどヘマしなきゃ辞めさせられることもない。こんな幸せってあるだろうか?

毎月定期収入があると、将来の計画が立てられるんですよ。だいたい毎月いくら貯金できるから、年間でいくらで、そのお金であれをして、これをしてってね。

もちろんちゃんと3食ご飯も食べられる。それもいっぱい食べられる。毎月の食費1万円だったあの時代におさらば。

 

そして家族や親戚、恋人友だち近所へのあの、罪悪感にも似たあの後ろめたい感情に悩まされなくなる。もう俺はちゃんと安定して働いてますよ。あなたたちのルールでしっかり生きてますよって言える。

 

4:金があるからできることが広がる

とにかく金がないけど時間だけあったあの頃は、フリーゲームに勤しんでいたけど、今はお金出してゲームができる。行きたいところに行ける。旅行も青春18切符を使って一日移動時間に使うこともない。浮いた時間で院生時代に考察したあんなことやこんなことの続きも考えられるし、ボーナスで年間の学費だって余裕で払えるから、研究したかったら研究したっていいんだぜ?

 

5 :自分が研究してきたことが世の中の役に立つ

はいこれ、重要です。

院生あるあるだけど、自分の研究してきたことを直接的に活かせる分野で就職したがる。いや待てそこにあなたの席は大体ない。

しかし待て、直接的に関連しなければあなたのしてきたことは無駄になるんだろうか?少なくとも、あなたという人が死ぬ気で考えてきたことはあなたの中に息づいていて、そのあなたが世の中に金という名の価値をビジネスで生み出せば、それはあなたが研究してきたことの成果の一つである。あなたの血となり肉となった研究を経て生まれた考えが、価値を生み出したのだから。

そしてそんなあなたの経歴が、あなたがしてきた学問の価値を高めるんです。「え、宗教学やってきた人ってこんなに面白いんだ!」とか「言語学出身の人ってもしかして使えるんじゃね?」とか。これはマジです。何回もその光景を見てきた。あなたがあなたの後輩たちの道を作っていくんです。それって立派な社会貢献ですね。それもすごい社会貢献です。

 

こんなわけでいいことばっかりなんです就職は。

何も怖くないですよ。ビジネス良いとこ一度はおいで。

 

...一つだけデメリットというか、おいらが陥ったトラップについては一応触れておく。

 

ビジネスというゲームに勤しんでいると、深く考えることが難しくなった。というか、考えないようにしていたら本当に考えられなくなった。ビジネスってやつはスピードもすごく大事なので、適応するためには深く考えることがおいらには難しかった。そのせいか、大学院生時代にあれだけ一所懸命考えたあのことや、うんうん唸りながら読んだあの本のことも、さっぱりわからなくなってしまった。

このトラップにはとても苦しめられていて、文章を上手く書くことができない。もちろん、ビジネスメールみたいなやつは書けるんだが、もっと根本的な、自分から湧き出るような文章を書くのは難しい。

こんな誰も読まないクソみたいな文章ですら、3日悩んでやっと形になったのだ。

これはおいらの限界だと思うから、人にもよると思う。できる人は全然出来ると思う。あと、職種にもよる。

 

これを読んで、「ケッ!やっぱビジネスなんかやってるやつはクソだな!俺は霞を食って生きてくんだ!」と思ったあなた。あなたはこちら側の人間ですよ。だって、本当に霞食って生きている人はこんなエントリに興味を持ちさえしないから。

 

騙されたと思って一度降りてきてくれよ。

頼むからさ。待ってるよ。