おちゃ的劇場型日記

社会不適合なのに元気な元文系大学院博士課程の現在・過去・未来。人によると波乱万丈らしい。

学校行かなくても予備校行かなくても国立大には行けることを証明した話。

小学校3年生のときに、先生の言っていることになぜ従わなければいけないのかわからなくて、そう伝えたら先生が次の授業から話さなくなってしまったことがある。
黙々と、何も話さずに黒板を書き続ける先生にクラスメイトは恐怖し、一様に責められたっけ。
 
学年が上がるごとにわからないことが増えていった。
素行はあまり良くなかった。
少しずつ、学校に行かない日が増えた。
 
中学校に上がると、普通の公立中学だったので当然のように制服がある。
なんでみんな同じ服を着て学校に行かなくちゃいけないのかわからなかった。
 
学校の勉強は教科ごとに先生が分かれて、自分で考えたりすることが少ない授業が多くなった。
多数の理解度に合わせた授業。教科書に沿った、紋切り型の授業。
 
つまらなくて、一人で先に進んで勉強していたらよく教師に怒られた。
つーか、先生が言っていることは教科書に書いてあるから、聞く必要がないんだって。
それなら自分で教科書覚えたほうが早い。
教師はおいらに目をつけるようになる。
 
あんまり素行の良くないグループに属していた。
なおかつ、そのメンバーの殆どがするようにうまく取り繕うことができないから、彼・彼女らがやった悪事は
おいらのせいになることが多かった。「影の番長」とか言われたことがある。漫画か(笑)
 
そんなこんなで、中学は途中から完全に行かなくなってしまった。
 
何をしていたかというと、一日中好きな本、漫画読んで、ゲームやって好き勝手やっていた。
親は泣いていたけど。ごめん母ちゃん。
親戚も近所の人も皆おいらを責めたけど。
かつての「友人」は腫れ物に触るようになってしまったけど。
それでも何事も強制されず好きなことをやれる時間は楽しかった。
 
でも勉強は好きだったから、高校受験した。
学校に行かない人用の家庭教師は月1回通ったけど、何を言っているか全然わからなくて、結局独学。
 
内申が悪かったのか、公立はダメ。
第一志望だった私立は、無事受かっていた。
 
高校はあんまりうるさく言われなかったし、好きな教科に特化したコースに行っていたのでまぁまぁ楽しくやっていた。
素行の悪いグループにも入らなかったし、わりかし穏やかな日々だった。
 
だけど、授業で事故に遭い、後遺症で何年かまともに歩けなくなってしまった。
文字もうまく書けなくなり、ノートパソコンを使って授業を受けていた。
数式が書けなくて苦労したっけ。
授業も、ずっと集中して受けることができなくて。
 
実技の授業は受けられないから、レポートで代用。
いつも皆の実技を眺めていた。
 
だけど、毎日通うことは体がキツくて、高校も休み休み。
ごめんよ母ちゃん。
金がないのに、やっと学校に行ってくれると家計を切り詰めて私立の学費を出してくれたのに。
 
高校はなんとか卒業できた。
勉強が好きだし、自分が好きな科目を選べる大学はどうしても行きたかった。
でも、家計の状況は更に悪くなっていたし国立しか行けなかった。
予備校の学費を見て目ん玉が飛び出た。
 
そんなわけでここでも独学。字は、練習してなんとか書けるようになっていた。
なんとか次の年国立に受かりましたとさ。
笑えるのが、センター試験が現役の時と浪人のときとでほとんど点数が
変わらんというwwww ショックwwww 一年間の意味wwww
現役のときは、まだ体調が悪かったので、受験はせず、翌日新聞に出る問題を解いただけだったけど。
受けときゃよかったぜ。
 
こんな中二病の人でも、現在なんとか生きてます。